十一月十五日は、七五三の日とされ、
子どものこれまでの健やかな成長に
感謝すると同時に、
これからの元気と成長を願う
伝統的なたいせつな行事です。
古くは平安時代、宮中や武家で
おこなわれていました。
数え年で、男女3歳を「髪置き(かみおき)」、
男児5歳を「袴着(はかまぎ)」、
女児7歳を「帯解き(おびとき)」が
由来とされ、健やかに成長するように、
との願いが込められています。
祈祷初穂料 6,000円
受付時間 午前9時半~午後4時(予約制)
由 緒
大原神社は仁寿二年(八五二)の創建といわれ、
三丹地方では唯一豪壮なつくりの社です。
社名の冠に「天一位」とつくのは、
京の都より天一位の方角、
乾(戌亥・北西)の方角を示しており、
都の乾を守る神として創建されたのでは
ないかと考えられています。
現在の本殿は寛政八年(一七九六)に
当時の綾部藩主九鬼(実際は上の角がない鬼)
氏の庇護により再建されたものであり、
当時の宮大工の精巧な技術をここかしこと
垣間見ることができます。
本殿をはじめとする、幣殿、拝殿、
摂社火の神神社、摂社水門神社、
絵馬殿は昭和五九年に京都府指定文化財に
指定されました。
社務日記には愛媛宇和島藩主世継ぎの
安産祈願をはじめ、
公家や藩主の参拝や代参が送られた
記録も残されています。
【安産の神 大原神社】
安産の神として親しまれてきた大原神社は、遠近より多くの安産の願いが込められてきました。古くは、近松門左衛門の浄瑠璃の一節にもうかがい知ることができます。江戸時代中期には、愛媛宇和島藩や埼玉岡部藩からも嫡男の安産祈願に参拝された記録がのこされています。
【七五三の大原神社】
七五三は、その名のとおり、7歳、5歳、3歳の子どもの成長を祝う行事です。男の子と女の子で祝う年齢が異なり、男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳とするのが一般的。古くは平安時代、その後も宮中や武家でおこなわれていた、子どもの年齢に伴った通過儀礼「髪置(かみおき)」「袴着(はかまぎ)」「帯解き(おびとき)」が由来とされています。
【初宮の大原神社】
ご出産おめでとうございます。
大原様のご加護をいただかれ無事にご出産されましたこと、心よりお祝い申しあげます。これからの大原様のご加護はもとより、ご夫婦の愛情につつまれ、健やかにご成長されますことを心よりお祈り申しあげております。
祭礼
大原神社に参詣することは
「大原志(おばらざし)」と呼ばれ、
現在でも俳句の春の季語として使われており、
「をしなべて人の心や大原志」-未得-
(『日本大歳時記』)
などとも詠まれています。
特に祭礼の当日などには参詣者も多かったようで、
参詣者の増加にともない、
道中に悪さをする者があらわれたために、
綾部藩ではお達しをだし、
取り締まりにあたったようです。
安政2年(1855年)3月10日から14日までの5日間、
大原神社一千年祭が執行されました。
一千年祭にあたっては、
木版刷りで「一千年御鎮祭御寄進帳」が作られ、
広く寄進を呼びかけました。
一千年祭の執行にあたっては、
京の吉田神社から神官が招かれましたが、
その対応はじつに丁重で、代表が京へ出発し、
菓子料として2朱と1分が献上されました。
神官の他に侍7名、下部が4人で出京し、
園部で一泊しました。
大原村からは年寄と和泉守が
桧山のとうふ屋まで出迎え、
戸津川峠や大原中津戸口でも
それぞれ出迎えました。
京綾小路の大原神社との関係
絆
大原神社にある江戸時代の
奉納絵馬や石造品には宇治や
伏見などの寄進者が
多いことが目につき、
広域的に信仰があったことが
うかがわれます。
その信仰の社勢を延ばすための
手段として、午王札の配布があり、
配布地域を檀那場と呼び、
各地におかれた神子(巫女)が
その任にあたりました。
山城地域の配札場の拠点は
京綾小路にあり、大原神社
(おおはらじんじゃ)と称し、
神子の森氏が代々神職を
つとめました。
それぞれの配札場からは、
春と秋の2回、米9石ほどの
初穂運上米が納められましたが、
大原和泉守から土佐守への
代わりのときに、京綾小路からの
運上米が停止するという
事態となりました。
そこで、吉田神社へ訴えたところ、 かっては初穂米を差し出していたが、その件についてはすでに了解したことである、とした上で、綾小路の札を配っているのだから上納はする必要はないとして、 吉田神社のあつかいにより、土佐は午王に「大原神社」と札に「天一位大原大明神」と書きつけること、 京綾小路は午王に「大原神社」と札に「大原大明神」と書き記し区別し、山城国では相対で配布することとなりました。
大原神社文書によると、元禄年中までは上納されていましたが、祖父の大原和泉守が死してのち、しばらく名跡がないうちに運上米を納めないようになり、 享保4年(1719)に養子である大原土佐守が家督を継いだのち、京綾小路へ催促をしたが、一向にとりあってもらえませんでした。
この時から、ここ大原神社と綾小路の大原神社とは疎遠になってしましましたが、平成13年(2001)に多数の関係者により両社の交流が再開し、平成14年(2002)の大原神社鎮座1150年祭には、祇園祭中に綾小路の大原神社を会所とする綾傘鉾保存会による巡行もおこなわれました。以後、新たな絆を深めるごとく、親しい関係が形成されています。
年 中 行 事
一月一日 午前零時 歳旦祭
一月一四日 午前七時三十分 どんど
二月三日 節分祭
午前十時三十分 鎮火祭
午後六時 お火焚き祭
午後七時 節分祭・追儺式
五月二日 春季例大祭宵宮
五月三日 春季例大祭
五月最終日曜日 お田植祭
七月二日 半夏生祭り
十月最終日曜日 収穫感謝祭
十一月 七五三詣り
十一月二三日 新嘗祭
十二月第一日曜日 交通安全祈願祭
十二月二九日 大祓い式